スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

少数決

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/


弱点を克服することに莫大な時間を使うことに昔から懐疑的だった。高校前半までは要求されるレベルが高くないことと部活に入っていなかったことから得られた余暇の多さで成績通知もほぼ評価5がそろえられたが、高校の後半から国語や社会、実技系科目などが伸び悩み、能力的な退化と興味がないことを頑張れない性格が災いしてだんだんと成績が下降していった。

履修申請が比較的自由な高校だったので余計な科目は取らず自習中心の受験生活をし、苦手な科目は得意な科目で挽回すればいいという理念で大学受験を迎えたら見事に国立に落ちて、周りの学校至上主義・授業至上主義者からは「ざまあみろ」と思われていたとのこと。

そんな高校の黒歴史はさておき、苦手なものを必死に頑張って人並みに追いつくことにそこまで労力をかける意味があるだろうか、という話。得意なことや好きなことを伸ばしてそれで生きていけるのならば、苦手なことは最低限の教養レベルあるいは知的好奇心が失墜しないレベルで手を広げておけば十分じゃないかと、年齢を重ねるにつれて思いが強まっている。

私は学生時代に数学と英語が好きで、恐らく理由は理論がはっきりしているからだったと思われる。理科は理論が難しすぎて得意になれなかった。学校の勉強以外の関心は健康や栄養、統計、環境、交通などでこれは昔も今も変わっていない。数学的思考が基本的に好みで、その他は生活に根差したものに関心があるというもの。

医療関係のちょっとした資格を取得してみたりTOEICを受験したり、パソコン関係 の資格をとったりしてきた。半面、芸能やスポーツに対する関心がほぼ皆無に近く、政治や経済も基本的な政策は理解しているものの、組織や人物についての知識がなく、それをつけることも苦痛と感じる。人文・歴史系も苦手で、芸術や文化からは程遠い生活をしてきたし、古典もわけがわからない。集団行動も苦手だったので、運動も走ること以外はほぼ苦手で、球技などはまったく楽しむことすらできない。

ただ、得意なものに絞ってきたからこそ救われたことも多い。幼少期に数学が楽しいと思えたことで大半の同級生に学力で差をつけることができたし、特に数学は平均点が低いし参入障壁が高いので、トータルでアドバンテージを稼ぎやすい。これは受験だけじゃなく就職試験でも相当に威力を発揮した。もし数学に出会わず、多くの人と同じ傾向だったらどうだっただろう。特に得意なものもなく、歴史用語を必死で暗記して英語や国語など競合の多い分野で恐らく苦戦していただろう。先行学習がなかった理科が苦手だったことを考えると、私は人よりも時間をかけないとできない不器用タイプだから、芸術やスポーツなどは絶対に無理だっただろう。

小学生や中学生時代は勉強なんてどうでもよくて、運動ができる人が賞賛される傾向にあった。当然運動をないがしろにしている私は馬鹿にされたりすることもあったが、それでも見込みのないスポーツに必死になって結局馬鹿にされているより、周りの目を気にせず得意なものや好きなものを伸ばした結果、数年後に報われ、スポーツ至上主義の人々はスポーツがアクセサリーにならなくなった瞬間に沈没していたから、結果的によかったし、今も恐らく何か馬鹿にされたり変わり者扱いされている方が、先々の糧になると思っている。

多くの人と同じことして過競争に参入すれば、私のような無能な人間は瞬時に沈没するだろう。常に少数派にいることが、結果的にこんな冴えない能力もない私に生きる財力と運を与えているといえる。それを否定せずにいてくれたプライベートでの周囲の人々には感謝しようと思う。