スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

私は子孫を残せない

労働によって生存しなければならない恐怖心があるがゆえ、ブラック企業にも人が集まってしまい、そこから脱却できない絶望的な仕組みを感じる。サービス残業パワハラ、無駄な社員の行事など、本来私生活と何の関係もないようなことにあたかもそれが身内であるかのようにコミットしなければならない価値観が当たり前のようにとらえられている。

全力で、全身全霊などの根性論剥き出しの意思表示が歓迎され、スポーツなどでも本人が言わなくとも周りが勝手に結果を出すことを本人が望んでいるかの如く煽り立ててくれるので、全体奉仕の姿勢でそれを第一に行動することが暗黙の了解となってしまう。

仕事の経歴を自慢するような啓発記事においても、私生活を犠牲にして社会貢献 や会社貢献したエピソードが美談として賞賛の対象となることが多い。だから人々は給料をもらえない、雇われないことに恐怖心を覚え、金が尽きて死なないように、死ぬ思いで働くことを選ぶ。そしてそれが当たり前と洗脳され、気づけば子供を作り、次の世代にもこうした「義務としての労働人生」を伝承する。

伝承といえば聞こえがいいが、それは強制に他ならない。幸福になるために競争するために、この世に生まれてくる。決して幸福になるためではない。ここがポイントだ。「生まれること=幸福になること」ではなく「生まれて競争して資本主義社会において定義された勝利を得ること=幸福になること」なのである。

競争を勝ち抜いた側の人間は、自らの人生経験を肯定するためにその正当性と普遍 性を主張することを望み、それが自然なものだと布教する。こうして「生まれること=幸福」という図式が成立し、無条件に生誕は祝福され、その後については一切の担保が存在しない。無条件に生誕し、諸条件の下に生じた結果については自己責任となるのだ。

こうした流れを脱却するのがベーシックインカムの実現と労働至上主義からの脱却であるように思われるが、反対論が相当に大きいため、この国では実現不可能だろう。金以前の問題に労働至上主義による束縛から人生を解放することが大きな慈悲となるポイントだが、皮肉にもそこが一番の障壁なので、たとえ経済的に実現可能でも実行に移されることはないだろう。

転職市場はこの構造を理解し、労働・就労中毒者から中間搾取を行う。貧困は拡大し 、貧しい人間はさらに労働市場から搾取され、結果的に働いていない方が黒字になるようなことも起こる。新卒の就活ビジネス、自己啓発ビジネスによって年収と同じだけの投資をしてしまう学生もいる。

機械化により必要とされる労働がなくなったにも関わらず、余剰となった人口に一律で労働を強いることを選択したこの社会において、生存競争に敗れた人間は自暴自棄になるしか道がない。労働のための労働が増大することで、人・物・事を問わず供給と消費のバランスが崩壊し、不要な仕事を創出することで金が既得権側に流れ放題となる。

接待・無駄な会議・宴席・視察、すべてが搾取構造以外の何物でもなく、成果を問われない業界においては会費という名の金の吸い上げにより、こうした会議型の中間 搾取が繰り返されている。既得権側の人間からは性善説が謳われ、「長い物には巻かれろ」という原則に従うことを選んだ人間はそれに適応することが大人になることだと解釈する。

この価値観に染まり切れない人間は脱落者・社会不適合者とされ、それを冷笑・嘲笑するのが昨今の常識となった。人工知能を搭載したロボットが店頭に並ぶ場面も目立ってきている。

ロボットの表情は確かに無機質かもしれないが、人間のように他人を苦しめないし、密室で暴力や搾取が行われることもない。煽り運転で死亡事故を起こすような感情行動もしないだろう。感情行動と喜怒哀楽の相乗効果による壊滅的な事件・事故が日々報道され、報道されない多くの惨劇が労働、学校、家庭、恋愛などの現場で発生している。悲惨 である。悲惨である。悲惨である。ひたすら悲惨であると、バラックを高台から眺めてどうすることもできなくなって途方に暮れるような諦観を軸に生きている。

いつからこうなったのかは不確かであるが、こうなるに至った多くの出来事を忘れてしまうほど、私の思考回路が変化して久しいということだ。できるだけ他人に期待や私情をもって接しないようにしているし、衝突を回避するための対策を練るようにしている。どこかのモンスター育成ゲームのように、人間にも相性があるだろうから、相手からの攻撃を半減するような防御を考え、自らも相手を刺激しないような言動を選ぶ。三人以上の場合はひたすら場の雰囲気を平穏に保つための調整を繰り返している。そんな日々だ。