スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

部活至上主義と労働至上主義

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/


厳しい部活を終えた学生たちが歩道を横一列で歩いていたり、電車の中で座り込んでお菓子を食べていたり、大声でしゃべっていたりする光景を見かける。

部活は「団体行動を通して規律ある行動ができる力を身に着ける」趣旨のものだと、私に部活加入を進めてきた嘗ての同級生や教師が言っていたのを思い出す。

当時は部活で得るものによって人間性が醸成されるのだと洗脳され、本当にそう思っていた時期もあったから、自分がこうしたチャンスから逃げているともいえるのかと少し不安になったこともあった。しかし、今となっては集団行動に参加することのリスクの方が圧倒的に大きいと思っている。

私の経験に基づくことを話しているだけで、決して一般化する意図がないことをご理解いただいたうえでお読みいただきたいが、周囲の人間で部活中心の生活をしていた人たちは大半が仕事中心の生活をしているし、仕事では評価されるけれども、束縛されない環境になった途端に他人に迷惑をかけたりするし、上下関係を常に意識していて、部下を奴隷みたいに使いながらも上司には徹底的に媚びて評価されているケースが多い。お世辞にも、公共の場できちんとした振る舞いができるような人間はあまりいない。

一概には言えないが、部活で成功を収めてきたタイプの人間は檻の中ではおおよそ優秀な部類に入っている。「人が見ていないところなら何をしてもいいのか!」という批判が沸き起こりそうだし、私もそういう傾向が嫌いだから部活至上主義は苦手だし、結局学校や会社の「オソト」 では猛獣になるのなら何の人間性もないだろうと思っていた。

しかしながら、最近は、「人が見ていないとことでは何をしてもいいけど、立場が上の人間には徹底的に服従し、組織第一で行動する」という立ち振る舞いが、もはやこの国・この社会における「規律ある行動」なのかもしれないと感じ始めている。

社会が多数決で成り立っているとすれば、残念ながら今の労働社会の規範が人間の普遍的規範であり、労働至上主義と年功序列が定義する今の常識は組織と既得権への徹底した服従・従属であるから、それに適合できる人間が「規律ある常識人」なのだろう。

それで特に構わないと思うし、私は社会不適合を自認しているので、今更世の中の肯定を希求することもないが、この価値観によって非常識のレッテル を貼られた人々が精神を病んでいることは深刻な問題である。社会(とりわけこの国では労働社会)における価値観など極一部のものなのだが、それがすべての価値基準であるかの如く肥大化しているため、それ以外の自己評価を見出せず自己否定に追い込まれてしまう場合が多い。

精神疲弊の渦中にある人々の多くが自己肯定感の喪失に苦しんでおり、この問題を解決しなければ自殺や鬱の抜本的解決は難しいだろう。とすれば、やはり幼少期から画一的な労働・組織・全体主義的価値観を正解として与えられる部活偏重教育は依然として大きなリスクを与えるものであるといえる。