スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

介護労働憂鬱センター

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/


介護事情が深刻になろうとしていた。絶対的な介護者の不足に加え、精神的な介護が必要となる人間の数が増えたのである。21世紀も半ばとなり、人類にとっての新しい脅威はメンタルヘルス問題となった。いわゆるメンヘラ罹患率が5割を超え、メンヘラ罹患者に対する介護活動が社会福祉の一環としてとらえられるようになったのだ。

その担い手はだれだろう。仕事がAIによって駆逐された今、人間が担う労働の7割が介護労働である。そして、介護労働はもちろんのこと、BIによる生活扶助があったので、介護自体も対価を伴う労働としての意識が薄れていた。BIが施行されているので、当然そんな仕事はだれもやりたがらない。

そこで、どうすれば精神介護を持続的なものとすることができるか、議論が活発になっていた。この議論は徐々に日本人特有の自己責任論とシンクロするようになり、介護が家庭の問題であるというプロパガンダが支配的なものとなった。

であれば、未婚者にとってはまったく無関係の話であり、結婚が何の意味ももたなくなった現代において、多くのメンヘラ罹患者と未婚者が余剰者として、家庭の問題についての議論から離脱する傾向が目立った。この状態を打破するために、恐ろしい社会常識ができてしまったのだ。それは「未婚者は1人につき1人のメンヘラ罹患者と交際関係にならなければならない」というものだ。

つまり、多かれ少なかれ、恋愛かメンヘラ介護のどちらかにコミットしなければならないということだ。どちらも面倒だから1人でいいですという主張は認められなくなった。法的 拘束力はないが、あらゆる公共分野においてこの構造が社会のあるべき姿という形で努力目標に掲げられ、半世紀前に無職が叩かれた時代と同じように、この構造にあてはまらない人間は欠落者だという見方が確立されていた。とても恐ろしいことだが、ついに現実のものになったのだ。20年前からこの兆候が見られたが、ついに私が生きている間に実現してしまった。