スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

愚痴の先にあるもの

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/


倍返しという言葉が流行ったが、仕返しとして倍にするという行為自体は非難されやすい。根性論少年法大国の日本は加害者保護の体質が強く、弱者の利益は無視されがちであるからだろう。

たとえば、冷やかし程度の挑発に対してコテンパンに仕返しをすることなどは、過剰防衛としてむしろ善悪判定で分が悪くなる。せめてやられた分だけやり返せということなのだろう。

しかし、この考え方はおかしいと思う。なぜなら、先制攻撃をしかけられた場合、受け手が被る損失は単純な被害だけではなく、逸失利益も含まれるからである。つまり、攻撃された被害者は、被害の直接的な不利益に加え、被害を受けなかったときに生み出せたであろう利益の獲得機会も失っているのだ。

だから、その利益の獲得機会についても、加害者には償う権利が生まれる。このように考えれば、1回人を殴った人間は2回殴り返されて当然であるし、ちょっかいをだしてくる人間に対して物を投げて叩き潰すという行為も、その妥当性が少しは認知されやすくなるのではないだろうか。

「○○さんが嫌い、○○さんが腹立つ」などという、よくいわれる「むかつく」という感情的憎悪は世の中に腐るほど蔓延しており、一定以上の仲間意識を持っている関係内ですらその不和が起こる。人間が他人に対して期待や理想をぶつけているからであり、無関心でいられないことが他者への攻撃性として余剰エネルギーの発散行動を引き起こすのかもしれない。

個人的には、この「むかつく」「不快」という悩み(≒課題)について、解決する方法は、おそらく【自分が死ぬ、相手が死ぬ、関係性を絶つ】の3点しかないと思っている。極論のように見えるが、結局は、歩み寄りや議論というのは「自分に相手をいかに合わせさせるか」であって、相手への譲歩ではない。「話せばわかる」「みんなで一つになろう」という人間は、決まって自分の意志に他人を服従させるような思考回路を持った人間であり、たとえば文化祭実行委員や祭り好きの仕切りたがり屋を見てもそのイメージは過去の記憶から容易に再現される。

そうなれば、議論や話し合いによる建設的な解決の道は可能性としてあまり期待できず、関係を断絶する手段の中から解決策を選ぶしかなくなってくる。最初の二つは問題行動となるので、結果的に3番目の「関係性を絶つ」一択となるのだろうか。ただ、実際には対人関係を苦に自殺したり事件を起こしたりという現実もあるわけで、少なくとも1~3のどれかが最終的解決方法として採用されうるものであるということは言えるだろうと思う。