スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

不機嫌人災

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/


対人関係で最も面倒なのは、人間の示す「不機嫌」であると思う。昔は私も色々な理想を持ち、それが叶わないことを嘆いたり怒ったりしたが、震災や就職を経て理想というものが一切なくなったので、何かを叶えることに対して必須であると思わなくなってきた。したがって、私は不機嫌になることはほとんどない。

なぜ不機嫌にならないのかを考えてみると、その理由の一つに「何かをやりたいことがない」ということがあげられる。さらに言えば「他人と通して、他人と共有して、何かをやりたいことがない」といったことだろう。趣味が豊富なので、やりたいことはあくまでも自分一人でやればよく、自分ができないことは望まないという思考回路だ。

不機嫌になりやすい人は、常に他人に何かを期待する人のように思う。他人に期待して、期待通りに他人が動かなくて、それにイライラする。その構造は、多くの人の「苛立ち」に共通する。つまり他人に何かしてほしいという感情を捨てれば、多くの不機嫌は解消されるのではないだろうか。

ただ、私の場合は「やりたくないこと」は山ほどあるので、不機嫌にはならなくとも「怠さ」「苦痛」はなくならない。労働、対人折衝、表面的な付き合いなど、避けて通りたいことは多く、実際に避けて通ったがゆえに異常者扱いされたこともある。しかし、一方で、特定の要員を除去すれば苦痛が解消されることがはっきりしているので、頭の中は極めてクリアであり、鬱にはならない状態である。ここに虚無主義が完成し、誰からも理解されない人間として社会に存在するのだろう。

人間が好きな言葉である「夢」…夢というのはその大半が悪夢へと変容する可能性を秘めていると思う。小学校の卒業式などで強いられる「夢の宣誓」は、単純に自分の願望を述べている段階にとどまっているから美しく、実現可能な美談に見える。

しかし、現実は、能力の限界と人間関係の底なし沼に足を突っ込み、描いた夢が粉砕されて屍と朽ちてゆくことが多い。格差社会ブラック企業も、頂点に君臨する経営者や、社会的強者、既得権者の夢を叶えるために、弱者や少数派が犠牲となり続けている。

美しいイメージが独り歩きしている点で、絆や愛情などという言葉と同じ存在感を放つ「夢」という言葉。その裏に隠された犠牲の大きさを、いつになったら気づくことができるだろうか。