スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

誰が迷惑したんですか??

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/


「電車が5分遅れて出勤が遅くなりました。ご迷惑をおかけしました…」と、地下鉄遅延の煽りを受けた社員が恐縮して謝る。このような光景は日本の労働文化に蔓延し、労働のみならず学校社会にも蔓延している。

「誰が迷惑を被ったんですか?」私は周囲の人間にこう尋ねる。周囲の人間は私を蔑視し、私を社会不適合者だと罵る。「始業時間に遅れているのに、申し訳ないと思わないのか!」私を糾弾する上司・教師・大人・子供・社会・世論・世間。

上の話はたとえだとして、遅刻はいったい誰に迷惑をかけるのだろう。列車の遅延で親族の死に際に間に合わなかった、などというレベルなら、確かにそれらは定時であるべきだったといえるだろうが、そのような次元にない多くの場面で「遅刻してご迷惑をおかけし、申し訳ございませんでしたぁ!!!!」というわけのわからない口だけの謝罪が横行している。

実際にどれだけの人が「他人の数分の遅延」によって多大な不利益を被っているのだろう。実態はおそらく何の損失もなく、ただ相手が横並びの規範通りに動かないことに対するその場限りの秩序の崩壊にいら立っているだけだろう。そんなことのために個人が恐縮することこそが大きな損失のように思われる。それに、このIT社会で誰もが揃って始業時刻に事務所にいる意味は何だろう。意味があり、必要とされているなら別だが、そうじゃないことに労力を割くこと自体が著しい無駄であり不合理な行為であるという認識が必要なんじゃないかと思う。

小学校の卒業式で皆勤賞を表彰する場面を見て思う。皆勤賞の何が偉いのか。毎日決まった時間に決まった場所に集まることの何が偉いのか。誰もその意味を考えない。それが誰を幸福にし、誰を利するものなのか、誰のためになっているのか、誰も考えない。ただ「良いこと」「好ましいこと」とされるものを意味もなく規定し、それに服従することが模範的とされる思考停止状態。それを賛美する大人もどうかしていると思うが、それに追従する子供がその価値観に毒され、それを次の世代に強制することを繰り返す絶望がそこにある。

話が全然違う方向に行ってしまい、かつ私にとって無意味で悪夢だった義務教育世代の根性論社会に広がってしまった。話を戻すと、誰の迷惑にもなっていない、誰の損失にもなっていないことに社会(世間)の人々は恐縮し謝罪し、誰も幸せにしないことをひたすら理想として追いかけ、それを称賛、追従し続けるものなのだろうということだ。