スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

もう一度やり直せ?

みんながやっていることをやることにあまり興味がわきません。そして同じことを繰り返すことに興味を持てません。学校行事や部活、各種団体行動など に一切意味を感じないのです。意味を感じないというのはあくまでも「私がそれをすることに」意味を感じないだけであり、多数の人がそれらに取り組むことを否定する意図は一切ありません。みんながやっているのなら、自分はやらなくていいじゃないか、自分はみんながやっていないことをして、情報をみんなと交換すればいいやと思ってしまいます。30人で旅行に行くよりも、5人ずつ6カ所に行って、思い出話をそれぞれシェアした方が楽しいと思うわけです。こういう性格なので私は部活もクラブも地域行事も参加してきませんでしたし、人間関係の構築にも向いていないのでしょう。(幸いにも同じ系統の仲間に恵まれ、年に1度程度会うドライな関係ですが交友が続いています)

たとえば 労働、今までやってきたことをひたすら模倣することが良しとされます。かなり理解があると思われる私の親族でさえ、親世代、祖父母世代はこれまでの終身雇用や、人間が生産性を維持する前提の労働モデルを中心に考えていますし、基本的に年功序列と前例踏襲が思考の根底にあることを感じます。もちろんそれに反発する気もないですし、考えなんて家族であっても違って当然ですからいいのですが、そうもいかないこともなくはありません。たとえば、これが結婚や子育ての話になったときはどうだろうというのは懸念材料としてあるわけです。

私は今の社会でもう一度幼稚園からやり直せと言われたらはっきり言って苦痛です。生んでもらったことに感謝していますし、人生は楽しいですが、今自分が概ね満足しているのは、運よくまともな環境に生まれ、幼少期に公文式に出会ったおかげで圧倒的な中等数学の能力を取得し、その学力を切り札に色々なことを回避できたからにすぎません。中でも学校に深入りしなかったのは大きいです。中学から私立で部活も回避でき、著しいいじめにあうこともなく、教員との関係も無難に納めることができたのはまさに運です。せっかく進学校に入ったのに国立大に行けなくても親が金を出してくれて私立大に平然と通うことができたのも、環境の要因であって私が優秀なわけではありません。スマホ世代で公立 中高でゼネラリスト的な成果を上げて生き残ってきた私の妹は人間関係も勉強も生活も相当に苦労しているようでしたし、公立・女子・濃密な人間関係というのが人の人生を大きく狂わせるものだと強く感じています。

話がそれましたが、もう一度義務教育からやり直したとして、上記のような切り抜け、逃げ切りができるでしょうか。大学入試は人物重視になり、就職活動は地獄、運よく人間関係を免除できるだけの能力や巡り合わせがあるとは限りません。私は学生生活という閉鎖空間を終えたから今生きてて楽しいわけで、これでブラック企業に入ったら無職になるか自殺していると思います。運がよくないと人から干渉・攻撃されるリスクから逃れられない。こんな世界に生まれたい ですか。私の答えはいいえです。学生の悲惨ないじめ自殺や労働問題がこれだけ頻発しているのに、自分が運がよかったからと言って「生きていればいいことがある」とか「努力は裏切らない」とか、そんな発言をして一般化することは愚の骨頂で、その言葉の暴力性は殺人と同水準だと思っています。なので私は安易な人間至上主義と子孫繁栄には懐疑的です。特に、自分が満たされないとか不幸だからといって子供に夢を押し付けたりするのは問題外ですね。同じ理由で鬱や精神疾患の人が安易に子孫繫栄することにもあまり賛同できません。