スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

罪なき人

毎年8月になると原爆の話になるね。

そうだね。

原爆の使用は間違っていたと思う。

うん。そう思うよ。

核兵器を使うなんてあってはならなことだと思う。

うん。その通りだ。

ただね。

うん。

核兵器云々よりも、罪のない一般市民が犠牲になったことが納得できないんだ。

ほお。なるほどね。

たとえばだけど、広島や長崎じゃなくて東京に原爆が落ちていたら。

うんうん。

ありえない話だけど、戦争主導者の頭上だけにピンポイントで爆撃されたのなら。

うん。

それは正当な反撃だと思うんだよね。

私もそう思うな。

無実の人間が犠牲になったことはとても悔やまれることだけど、実際にあの戦争を企て、国民を奴隷にしたような連中こそ、核兵器の破壊力によって木端微塵に粉砕され、不可逆的に再生されない打撃を受けるべきだったんじゃないかなって思うんだよね。

つまり、無実の市民が犠牲になったことに憤りを感じながらも、米国のとどめを刺すような攻撃自体は無条件に批判できないってことだよね。

最初に攻撃をしたり手を出した人間ってのはあらゆる報復を受けても仕方がないって思うんだ。この前も介護施設で上司からパワハラされた社員が上司を殺しただろう?あれだって、上司が最初からパワハラなんてしなければそもそも事件は起こらないんだよ。なのに上司はパワハラをした。そりゃあ殺されて当然とも思うね。

事情はあれども、先に加害行為をしてしまえば、双方にとって致命的な結末を与えるってことだね。過剰防衛をされてしまったとしても、最初から加害を起こさなければ、そもそも害を与えあうこともなかったわけで、それは学校の喧嘩・いじめにも通じるところがあるんじゃないかな。

そういうこと。ただ、戦争被害は罪のない市民が犠牲になっているから、絶対にあってはならないことだし、市民を標的にすると決めたアメリカの判断も間違っていたと思う。もちろん、核兵器を使えば罪なき市民が巻き込まれるのは避けられないから、結局は核兵器の使用は絶対にあってはならないっていう結論に落ち着くと思うんだ。

その結論を大前提として、報復攻撃されるべき対象がその攻撃を逃れて、何の罪もない貴い生命が奪われてしまった歴史に対するやりきれなさを感じるってところかな?

そんなところかな…当時を知らないしなんともいえないけどね。

広島、長崎、沖縄、福島、権力の横暴の陰で犠牲になった人たちが、苦しみの中心に置かれてさらに差別まで受けて苦しんでいる。昔も今も。それは忘れちゃいけないし、8月だけじゃなく、3月だけじゃなく、常に頭の中に入れておきたいと思う。