スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

愛着障害について考える

先日のAに関する記事に関連して、最近「愛着障害」というものに着目して、精神疾患と環境の関係について勉強しているところだ。全然知識がないので新書を読み進めて少しでもイメージできることをピックアップする程度だが、それでもこの本はかなりためになったし、これまで色々と苦悩を抱え込んできた自身を救済するのに十分な役割を持つ本だった。精神疾患を抱えている人はもちろんのこと、そういう人と恒常的に関わったり、身近な人が精神を病んでいる人、それらにつかれてしまった人にはぜひおすすめのシリーズだ。

この本によれば愛着障害はパーソナリティ障害や発達障害とは異なる概念のもので、パーソナリティ障害や発達障害はこれまでも精神疾患のカテゴリーで対応が行われてきたものの、愛着障害については対処がなされず放置されていたという。放置されていたのが意図的かどうかはわからない。

愛着には安定型や不安定型、回避型など複数の種類があり、不安定型の愛着を持って育った人間はまったく特殊な例ではなく、普通に存在する。幼少期に適切な安全地帯を持たなかったり、逃げ場がなかったり、無条件に肯定される経験をしないと、それらを大人になってからもずっと追い求めてしまったり、人との距離感がわからなくなったりするのだという。

Aやその他数名の精神疾患を身近に見てきて、全員に家庭環境の不和が共通していた。家庭環境の不和が人間の発達や精神に影響し、大人になったときに後遺症を残すことを強く感じていた。学校や労働など、その後の環境に起因する鬱なども十分にあるものの、根本的には最終的な受け皿の不在が大人になってからもACなどの精神障害を引き起こすのだという認識だった。さらに、この本を読んだ後に思ったのは、こうした親子関係における不適切な愛着の形成は精神疾患や特殊な環境下にある人間以外にとってもかなり身近であるということだ。

病んでいることだけが精神的に不安定な状況ではない。やたらと特定の価値観に拘泥したり、私のように組織や集団を極度に回避しようとする性質も、詰めて考えれば親子関係に起因するものだというのだ。私は自分の性格形成の要になった出来事は「震災・就職活動・介護(Aとの関係を含む)」の3点だと思っていたが、実際には両親の不仲も相当に影響していたのではないかと思った。

私の両親は目立って仲が悪いわけではないが、互いの生活スタイルや考えの相違などについて子供の前で愚痴を零す癖があった。母は感情的になりやすく、父はネガティブな発言が日常的に多かった。両親が互いを尊重していない言動を見せられると、結婚や恋愛に対する希望がどんどんなくなってきたし、知人の恋愛模様が崩壊的だっただけでなく、実親の不和が私の恋愛嫌悪の決定打になったのではないかと思う。

両親は良い時代に生まれているので理想が高い、文句が多い、満足の基準点が高いので、不満が多かった。小さなことで喜んだり何かを肯定的に評価するのが苦手な性格だった。常に足りないものに目が行き、それをついつい口に出してしまう性格だった。私が両親の均衡を保ち、気分屋の妹のこともいつしか恐れるようになっていた。

ただ、両親のこうした行動も、両親が経験した子供時代に起因するものなのだろうなというのは、介護時代に祖父母と色々関わり、両親から過去の話などを聞き取る中で、徐々にわかってきた。祖父母の育て方や両親の実家の環境、親戚との関係なども、本人たちの性格形成に著しく影響していると思った。決して経済的困窮や虐待などがあったわけではなく、至って健全な家庭だったが、それでもやはり子供にとって致命傷となる言動や見聞きした事物がそこにあったのだろう。

本文中には多くの事例が存在する。絶望的になるようなエピソードもあれば、かなり希望が持てると思われる奇跡的なものもあった。特に誰もが諦めていた愛着障害を克服させたカウンセラーの話は涙が出るような実例であり、ここまでの自分の試みに疲れて心が折れかけていた私に希望を与えるものだった。

ただ、大人の影響や親の影響、社会の影響が子供に致命的な傷をもたらし、それは自覚していない無意識な限度の一つによってさえ人生を変えてしまうほどの傷をもたらしてしまうことがわかった。アダルトチルドレンや鬱の問題は今の問題だから若年者中心の問題だと考えられるが、実際には私たちの親世代の時点で愛着障害に該当する人は相当数存在するという。その世代は親(私の祖父母に当たる代)がこうした精神の問題に無頓着であり、そこまで手厚く子供のことを気に掛ける余裕もなかった。まだまだ子供が社会を作る労働力だと思われていた時代だから、そこで欠落した愛情しか与えられなかった親世代が今の世代と不適切な愛着関係を作っていることも考えられる。

愛着の問題はそれに気づいた本人の代で解決しないと連鎖すると書かれていた。当然そうだと思う。満たされなさを子供に投影し、子供を使って解決するような人が子供に十分な愛情を与えられるだろうか。私は子供を持つ自信がさらになくなったし、自分が子供を欲していない気持ちが増すこととなった。それは人間が言葉という圧倒的な凶器を手に入れ、それを無自覚のうちに使ってしまい、相互に相手の人生や性格形成に致命傷を与えている構造をしってしまったからか、単に私が育児・生命の連鎖が怖いからなのかは確かではない。ただ、不完全な人間が不完全な人間の親になり、不完全さの掃き溜めとなった暴力的な言動が、その場で弱い立場にいる者の人生を崩壊させる可能性を感じると、どうしても人間の生そのものを再生産することに肯定的になれずにいる。

これは反出生主義にもつながるものかもしれない。反出生主義を主張する人はこの本を読むとその理屈がさらに強固になるのではないかと思う。私自身、生まれたからには人生を楽しんでやろうと思っているし、趣味も好奇心も旺盛だが、どうしても次の世代の生命を残すことに対しては慎重になってしまう。それは明らかに社会や人間への不信感であり、家族への不信感、自分自身への不信感なのかもしれない。

同じ著者の本に愛着障害についての別書籍があるので、こちらも読んでみたいと思う。